家紋の豆知識|家系図作成 33000円から ”先祖の歴史を後世に伝えたい”

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家紋の豆知識

家紋の起源

公家の紋章は、平安時代、西園寺実季(さいおんじさねすえ・1032〜1091)が自分の牛車に一目で分かる「巴紋」の印を付けたのが始まりと言われています。平安貴族は、現在でいうマイカーの牛車で移動したため、宮廷の儀式や貴族の祝いごとには多くの牛車が集まりました。その際、自分の牛車がすぐ分かるようにするため、巴形を三個合わせたものを牛車にあしらったのです。これが、実季の子孫の西園寺家の左三つ巴紋になりました。牛車の印は、12世紀に入って次第に貴族の間に広まり、家を表わす家紋になっていきました。

家紋(星梅鉢)

一方、武家の紋章は、公家より遅れて、平安時代末期の源平合戦の時、旗指物や陣幕に付した文様から起こり、敵味方の識別や自分の働きを証明するなどの必要性もあって、固有の印を旗幕や幔幕等にあしらったことが、その始まりと言われています。

家紋の歴史

1 縄文・弥生時代・古墳時代

家紋の起源は、一般的に平安時代とされていますが、さかのぼれば縄文時代に土器に施された縄目を紋様としたり、渦巻き状の紋様があるなど、家紋の原型を見ることができます。弥生時代には渡来人の影響を受け優しい女性的な紋様と変化し、古墳時代になると、埴輪や古墳に家紋に似た紋様があります。

2 平安時代

前述したとおり、平安時代、公家は自分の牛車を見分けるために紋様を付けるようになりました。その頃の紋様は公家たちの美的趣味を表現する一つの手段であり、まだ識別のしるしとしての紋様の範囲内でした。その後、美しい紋様は、牛車のみならず、調度品などにも取り入れるようになるとともに、公家の男たちが正装をする際の衣服に同じ紋様を伏すようになってきました。この頃から従来の識別のしるしとしての役割から家を表わす象徴としての意味をもつことになり、家紋へと発展していくようになりました。

武家の家紋は、公家より遅れて普及しました。平安時代後期頃、源氏と平氏が戦っているとき、源氏は白旗、平氏は赤旗を掲げて互いの違いを明確にしたことが武家紋の始まりとされています。その後、源平の戦いに源氏が勝利すると白旗ばかりになり、一人ひとりを識別する必要から家紋が登場しました。

3 鎌倉時代・南北朝時代

鎌倉幕府が開かれると、武士の名字と家紋を届けるよう制度化したことから、その後、家紋は急速に広まりました。
その後、承久の乱(1221)、南北朝時代を過ぎるころになると、敵味方を識別する目的の他、同族としての連帯感や先祖の得た名誉を象徴する意味合いの込められたしるしとして伝わるようになりました。
戦場では、旗やのぼりの他に、武具や馬具、甲冑や刀、槍などまでに家紋が付けられるようになりました。

4 室町時代

武士の衣服にも家紋をつけるようになり、武士の間には400〜500個くらいの家紋の数になったといわれています。

5 江戸時代

戦場で敵味方の区別をする目的を担ってきた家紋ですが、江戸時代には戦がなくなったことから、儀礼的あるいは権威の象徴としての一面が強調されるようになり、用途が大きく変化しました。江戸時代は、身分制度がはっきりしていたため、身分の上下や家の格式をあらわすという目的が家紋によって果たされるようになります。
また、「苗字帯刀禁止令」によって庶民は名字を名乗ることが許されなくなりますが、家紋は禁止されていなかったため、羽織などに家紋をつけることが広がりました。

6 明治時代以降

武士の衰退とともに家紋の全盛期も終焉を迎えますが、一般庶民の間に根付いた一家一紋の風習は、礼服や墓石につけることで脈々と現代に伝わり、冠婚葬祭などでは、今も使用されています。

家紋の種類

日本における家紋の数は、2万種類ほど確認されているそうです。家紋の紋様の9割は、日本古来のものが占めています。残りの1割には、中国やエジプトなどの国から伝わった絵柄もありますが、それらをもとにして日本で独自につくられた家紋は、日本特有の芸術作品です。種類は、次のように分類されていますが、これは一例です。
他にも、植物紋、動物紋、自然紋、紋様紋、器物紋などに分けられます。

家紋入り提灯
文字紋 名字をそのままかたちとして表現したもの
瑞祥紋 縁起を貴んだ、めでたいことの意味を表現したもの
記念紋 一族あるいは先祖の名誉などを記念とするためのもの
尚武紋 武具などの武勇的な意味を込めたもの
信仰紋 神や仏に対する信仰の念を込めたもの

有名な家紋

家紋は一家に一つではなく、由緒ある家の場合、いくつもの家紋をもち、時と場合によって使い分けていました。織田信長の場合、織田木瓜、揚羽蝶、二引両、五三桐など合計六つもっていました。多く使う家紋は、「代表紋」「表紋」と言います。また、公式な家紋以外のものを「替紋」「副紋」などといいます。以下の有名武将等の家紋は、複数持っている家紋のうちの一つです。
「五七桐」は、内閣総理大臣・政府・内閣府が事実上の紋章として使用しているものです。

五七桐
揚羽蝶
五三桐

日本政府紋章
(五七桐)

織田信長
(揚羽蝶)

豊臣秀吉
(五三桐)

日本においては、五七桐を、政府・内閣総理大臣・内閣が紋章として使用している。

織田信長の先祖は、越前国織田荘の出で、藤原の流れをくむ織田家の家紋は「木瓜紋」である。しかし、信長は自分の先祖を平氏とし、平清盛の末裔を名乗り、平家の代表紋揚羽蝶を家紋とした。その他にも複数の家紋を使っていた。

秀吉は、最初に織田信長から桐紋を下賜され、天下統一後、後陽成天皇から桐紋を直接受けている。

徳川葵
大岡七宝
右二つ巴

徳川家康
(徳川葵)

大石内蔵助(大石良雄)
(右二つ巴)

大岡越前守(大岡忠助)
(大岡七宝)

家康の祖である新田家が継いだ松平家が加茂神社を信仰していたことから、京都加茂神社の神紋である葵を家紋としたといわれている。
葵の瑞々しい深緑は不老不死を象徴しているものと考えられている。

赤穂浪士が討ち入りの際、大石内蔵助が鳴らす合図の陣太鼓に巴の紋が付されていたといわれている。
巴紋は、神社の屋根瓦にも使われているが、これは巴が渦を巻いて流れる水の様子をあらわしている。

大岡家が家紋とした大岡七宝は、七つの宝(金・銀・瑠璃・玻璃など)のことをいう。七宝模様は、正倉院御物のなかにも見られるもので、古い時期に中国から伝来したものといわれている。

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