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江戸時代の住所
2018年03月12日 [家系図]
このところ、すっかり春らしくなり暖かな日が続きます。
我が家の隣の公園にも梅の花がきれいに咲いています。

公園の梅

通常、花見というと梅でも、桃でもなんでもいいような気がしますが、正式に「花見」とは桜の花の観賞する行事だけを指すようです。俳句でも「花」といえば「桜」のことになります。
今月の初めに伊豆の河津桜を見に行ってきましたが、それは正式に?花見に行ってきたといえるようです。
では、桃や梅の花を見に行くときはどのようにいうのでしょうか。「桃の花見」「梅の花見」で大丈夫のようです。日本語はややこしいですね。

今回は、江戸時代の住所についてです。
家系図を作るために戸籍を見ていると、明治時代に書かれた古い戸籍に江戸時代の本籍地が書かれていることがあります。例えば、江戸時代の弘化元年(1844)に婚姻により入籍した女性について戸籍に「弘化元年3月15日同県同郡同村 亡春山太郎長女入籍」と書かれていることがあります。表題部の本籍地欄を見ると「神奈川県高座郡淵野辺村〇〇番戸」と書かれていますので、その場合、普通に考えると「同県同郡同村」とは「神奈川県高座郡淵野辺村」ということになります。
しかし、この女性は江戸時代に婚姻したのですから、正確にいうとその当時の地名である「相模国高座郡淵野辺村」ということになります。であるにもかかわらず戸籍には江戸時代の地名ではなく、明治以降に定められた本籍地で書かれているのです(たまに「武蔵国」「相模国」など江戸時代の地名で書かれていることもありますが・・・)。
ただ、注意しなければならないのは、「同県同郡同村」というのは前の戸籍に書いてあることを戸籍の様式の変更や転籍などで移記されている場合は、表題部に書いてある戸籍とは異なる本籍地の可能性があります。したがって戸主の欄に分家や転籍などの記載がないか注意する必要があります。「同県同郡〇〇村」と書かれている場合は〇〇村をネットで検索すると、どの県や郡なのかは分かります。

戸籍には、なぜ江戸時代の地名を使っていないのかについてですが、戸籍の始まりの明治4年戸籍法では住居地登録を建前とし、本籍の表示には屋敷番号を採用することになりました。その後、明治19年式戸籍から土地番号が採用されました。つまり江戸時代の住居表示については土地番号が使われていなかったため、新しい制度である戸籍では土地番号(屋敷番号)を使った本籍地で書くことで統一したのかと思います。
したがって、当事務所で作る家系図には、江戸時代の地名は使用せずに戸籍に書かれている本籍地(地名)を使用しております。